ブログをつくってそのままになっていましたので、自己紹介の方を掲載いたします。
私は北海道紋別で3年間、鹿児島県奄美で3年間、北海道名寄で5年間仕事をしてきました。いずれも弁護士過疎地域(裁判所支部の管内に弁護士がゼロか一人しかいない、あるいは人口に比べて弁護士がこれに準じるほど少ない地域)であり、弁護士過疎を解消するために公設事務所や法テラスの4号事務所が設置されています。
そもそも「なぜ弁護士過疎地域で合計11年も仕事をしてきたのか?」ということも聞かれます。私は弁護士になった当初より、弁護士の仕事が最も求められる場所で働きたいという志をもっており、その場所が弁護士過疎地域であると考えたので、これまであえて弁護士過疎地域で働いてきました。また、名寄では、弁護士という仕事だけではなく、人口減に悩む地域のまちづくりにも積極的に関わっていきました。
11年間弁護士過疎地域で仕事を続ける中で、状況が変わったことがありました。それはかつては弁護士過疎地域を志望するひとは限られていたのですが、公設事務所や法テラスの4号事務所が整備されたこと、司法改革により若手弁護士が急増したこと、若手弁護士を養成して送り出す弁護士事務所が増えたことにより、弁護士過疎地域で仕事をする弁護士が格段に増えたということです。
私が紋別の公設事務所にいたころは後任の手が挙がらず非常に難儀したものですが、いまでは旭川地裁管内の公設事務所は複数の応募がでてくることが通例となっています。また、公設や4号という形ではなく、弁護士法人の支店や個人事務所の設立という形で弁護士が定着する形もとられるようになりました。
弁護士が弁護士過疎地域と呼ばれていた地方にいくようになったのは、賛否分かれる司法改革のなかでも大きなプラスの面であることは間違いないと思います。ただ、弁護士過疎地域に単に弁護士がいけばいいというものではなく、どのような弁護士がいくかという質の問題が問われています。弁護士過疎地域では地域の方に弁護士を選ぶ機会が限られているため、おかしな弁護士が弁護士過疎地域にいったばあい、そのもたらす弊害は甚大です。そうならないためにも、地方に行く弁護士を養成する事務所の役割がより重要になってきていると思いました。
私が戻ってきた桜丘法律事務所は、地方にいく弁護士を養成するパイオニアで、今まで数多くの弁護士を公設事務所や法テラスの4号事務所に派遣しています。また、地方におかしな弁護士を派遣してはならないということを事務所の弁護士が十分理解し、刑事事件民事事件に限らずしっかりとした教育をおこなってきています。私も40歳を超えており、現場での11年間の経験を後に続く若手に伝えることが求められていると考え、東京に戻ってきた次第です。
東京に戻ってきてから1年と数か月経過しており、東京に来てから事務所で育成している弁護士もそろそろ派遣先がきまるころとなりました。派遣弁護士に対して引き続きサポートできればと思っております。